心理学カフェ 

脳科学、心理学に精通するカフェオーナーのブログ

5年前、僕の背中を押してくれた3つのこと。自分らしくない何かをやめる時期に来ている。

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3月は3.11について書く人が多いと思いますが、

僕にもあの日がキッカケで色々と変化がありました。

20席の小さな喫茶店を1人で11年していた僕が、

CAFE LABORATORYという大きな店を出したのも、

実は震災の影響がとても大きいのでした。

 

その影響とは、

【震災から4日後の義理の母の死】と、

【震災から1ヶ月間の僕の店に来たお客さん=友人達】

【震災から1ヶ月後に会ったある経営者の言葉】

の3つでした。

 

その1【義母の死】

震災から4日後の3月15日に、

癌を煩っていた義理の母が亡くなった。

義母は宮城の沿岸部出身だったので、

親族の安否がわからないことや、

あの地震の映像や世間の空気感も闘病中の義母の力を削いだのだと思う。

僕は癌が発見された次の日から、

治療代として借りたお金を返すため、

営業時間を11:00〜21:00から11:00〜24:00まで伸ばして働いていて、

妻もバイトと介護を両立で頑張っていた。

僕はなんとなく「義母は治る」と思っていたので、

その死は「努力は必要だけど、必ず報われるわけじゃない」ことや、

あたりまえだけど

「どんなに良い人でも、いつともわからず死ぬ」ことを痛感させられた。

当時の僕は今の僕と同じで、

「人が街を歩いている所を見ながらコーヒーを飲みたい!」

という目標を持っていて、

いつか人の流れを生むカフェを作ろうと思っていた。

だけど、

物件もなかなか見つからず、

具体的な動きは何も起こせていなかった。

忙しさを言い訳に僕の行動が足りていなかったのだと思う。

でも、

死をただの悲しい出来事にするのは嫌だったので、

「義母が亡くなったことが僕に大切な事を気づかせてくれた」

を正解にするため、

「2011年中に新しい店を作る」ために具体的な行動をとることが出来ました。

 

その2【僕の店に来たお客さん=友人達】

COFFEE HEAVENは車で来店される人が99%の店なので、

ガソリンが無かった震災後は、

お客様が減るものだと思っていましたが、

予想に反して、

「もう一度地震が来たら一人でいるの嫌だから」

「ここにいると情報が色々集まるから」

など様々な理由で毎日沢山のお客様がいらっしゃいました。

灯油やガソリンをお客様達が持ち回りで新潟に買いにいったり、

備蓄していた食料をわけあったりしていました。

このとき僕は、

カフェを中心に出来たコミニュティーの力や、

この仕事はコーヒーを売る以外の大きな価値があることを確信したので、

街に人の流やコミニュティーを生み出す可能性のある、

新しいカフェをどうしても作りたくなりました。

 

その3【ある経営者の言葉】

震災後の世界はどうなるのか?

超一流の経営者はどう考えているのかが気になって、

2011年の4月に、

世界的に活躍している経営者に会って、

3.11以降の世界で重要なことはなんなのか?を聞いて来ました。

箇条書きで書き出すと、

1、自分にしか出来ないことを磨く。

2、誰かに協力をお願いする

(誰に、何処に投げかけると、それが叶うのかを知っている)。

3、コミニュティーを持つ。

4、1番危険で楽しそうな道を選ぶ(どの道を進んでもリスクのある時代だから)。

5、自分らしくない何かをやめる。

6、自分らしい何かを始める。

 

ざっと以上なんですが、

この言葉が、

コミニュティーを作ることや、

自分にしか出来ないこと、

リスクをとってでも新しいカフェを作ることへ、

背中を押してもらえた気がしました。

 

そして震災からちょうど8ヶ月後の11月11日に、

資金ゼロどころかマイナスの状態から、

CAFE LABORATORYはオープンしました。

 

自分1人の力では出来なかったけれど、

亡くなった人、

多くのお客様、

友人達、

経営の先輩など、

色々な人が背中を押してくれて、

僕はカフェ作ることができた。

震災は悲しいことだったけど、

それだけじゃなく、

街にカフェが出来るキッカケにも成っています。

 

 

 

 

下は僕のHPです。
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