口に出すことで初めて自分の心に気がつくときがある
3店舗のカフェ経営、執筆業、講演業、彫金師です。
カウンターでお客様と話をしていると、
期せずして自分の内側に気がつくことがあります。
先日、
ワードチョイスに優れ、
原色のビビットな服を着こなすことでお馴染みの、
Rちゃんと話していているときに、
それは起きたのです。
以下会話の全文(憶えている限り編集なしです)↓
僕「相変わらず凄いデザインの服を着こなしてるね」
(ボタンが巨大なニコニコマークで構成された芥子色のカーディガン)
Rちゃん「ありがとうございます。そんなに褒めてくれるのは修平さんと父だけです」
僕「そんなアグレッシブでコケティッシュな服は何処で買っているの?」
Rちゃん「こんなふざけた服は売っていないので母が作ってくれるんです(たぶんウソ)」
僕「天真爛漫に育った娘に、こんなにお似合いの服を作るなんて素晴らしい母だね」
Rちゃん「ありがとうございます」
「こんな希有なデザインなら、きっとコアなニーズがあって売れそう」
Rちゃん「母に伝えますね。きっと喜びます」
Rちゃん「修平さんも相変わらず素敵なモミアゲですね」
僕「ありがとう。良く言われます」
Rちゃん「(溜息まじりに)私にもそんなモミアゲがあったらなぁ。ずっと眺めても飽きないのになぁ」
僕「人間は足ることを知れない欲深い生き物だからね。
例えばお父さんお母さんが、Rちゃんが産まれるとき、どんなことを願っていたと思う?」
Rちゃん「健康に産まれて欲しいとか? 五体満足にとか?」
僕「そうだね。だからもうRちゃんは親の願いを叶えているよね」
Rちゃん「そうですね」
僕「でもね、時間が経つとRに『もっと勉強を』とか『もっと身長を』とか
『もっと立派なモミアゲを』とかも願ってしまう」
Rちゃん「モミアゲなんて取るに足らないことなのに!ですね」
僕「そういうこと」
はい。
こんな会話をしていたのですが、
口に出してみたら、
僕も子供達に、
もう僕の願いを叶えているのに、
どうしても多く期待してしまったこともあるなぁと気がついたのでした。
息子12歳(これから中1)に、
「飛び込み攻撃に対して対空出せ」とか、
「ダッシュ投げに対して垂直飛び置いて最大コンボたたき出せ」
とか多くを望み過ぎないようにしよう。
一緒に遊んでくれているだけでも、
願いを叶えてくれているのだからね。
(ストリートファイターVの話です)