心理学カフェ 

脳科学、心理学に精通するカフェオーナーのブログ

僕が今日生きている1日は、あの子が生きたかった1日かもしれない

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初めて僕が身近な大切な人の死を経験したのは25歳の時でした。

それまで僕は、

死を全然意識しないで生きて来た。

でも25歳のある日、

成績優秀でスポーツもゲームも上手い友人が、

彼女との結婚を間近して亡くなった。

どんなに良いヤツで、

希望に燃えていようが、

突然、死はやってくる。

友人の葬儀に参列したときから、

【死が常に側にある】ことと、

【僕が今生きている1日は、友人が生きたかった1日のはずだ】

という2つのことが僕の脳に刻まれた。

それから僕は、

なあなあにしてきた、

やってみたいけど怖いことをやるようになったし、

周りの評価より「自分がどうしたいか?」を大切にできるようになった。

友人の死がなかったら、

きっと一歩を踏み出せていなかったと思う。

 

先日、

大切な友人【ベス】が亡くなった。

友人で、

元スタッフで、

店子で、

彫金の弟子で、

経営者仲間でもあったベスは、

死の前日もいつものようにアイスコーヒーを僕の店で飲んでいて、

「じゃー木曜日にまた!」と店の改装を一緒にする約束したけど、

次の日の朝に何の前触れもなく眠るように心不全で亡くなっていた。

 

これから僕が行動を起こして上手くいかないとき、

周りに流されて自分の理念から外れそうなとき、

【ベスの生きれなかった1日を、僕は生きている】ことを思い出すよ。

そのことを想えば、

もう少し頑張れるし、

自分に戻って来れる。

 

また頼りにしてばっかりで悪いけど、

たまに背中を押してな。