もし生き様が墓標に刻まれるとしたら、僕の人生は誇らしいか?
大切な仲間が亡くなってもう1月経ちます。
彼女の墓標に、
生き様が刻まれるとしたらどんな言葉だろう?
【服も音楽も趣味も、
その辺にたくさんいる量産型の子とは全く違っていました。
アクセサリーの作り方、
カフェラテの作り方など、
たくさんのことを伝えたけど、
歩みは遅い子でした。
でも、
手に入れた技術は決して失わない子でした。
とにかくやってみる、行動する子でした。
なので失敗も多かったし、
多くの人より傷は多かったと思う。
あのイベントもこのイベントも?ってくらい、
売り子から裏方まで、
色々なところで仲間の役に立つことしたい子でした。
たくさんの仲間に命を惜しまれて、
濱田恵理ここに眠る】
美辞麗句だけでなく、
僕がから見たあの子を言い表したらこんな言葉かもしれません。
やりたかったことはたくさんあったと思うから、
悔いはあると思う。
でも、
仲間に愛された素晴らしい人生だったと僕は思います。
以前人生の師の一人にこんなことを言われたことがあります。
【1週間前の君と今の君は何か違う行動をしている?
1ヶ月間の君と今の君は?
1年前とはどうだろう?
もし変わっていないとすれば、
これからもずっと変わらないよ。
君がこのまま変わらず生活を続けて死んだとして、
生き様が墓標に刻まれるとしたら、
君にとってその言葉たちは誇らしいかな?】
僕がこのままの変わることなく生活を続けて、
死んだとして、
僕の人生は誇らしいだろうか?
そうは言えないと思う。
僕が生きている1日1日は、
誰かが生きたかった1日だと思う。
その1日をどう過ごしていくか?
たくさんじゃなくていい、
大切な人を大切に、
大切なものを大切に、
楽(らく)よりは大変でも楽しいことを、
他人にもらう資格や価値ではなく、
自分で新しい価値を創っていく。
1年前より、
1月前より、
昨日より違う行動をしていこう。
月命日にそんなことを想うのでした。