心理学カフェ 

脳科学、心理学に精通するカフェオーナーのブログ

もし生き様が墓標に刻まれるとしたら、僕の人生は誇らしいか?

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大切な仲間が亡くなってもう1月経ちます。

彼女の墓標に、

生き様が刻まれるとしたらどんな言葉だろう?

 

【服も音楽も趣味も、

その辺にたくさんいる量産型の子とは全く違っていました。

 

アクセサリーの作り方、

カフェラテの作り方など、

たくさんのことを伝えたけど、

歩みは遅い子でした。

でも、

手に入れた技術は決して失わない子でした。

 

とにかくやってみる、行動する子でした。

なので失敗も多かったし、

多くの人より傷は多かったと思う。

 

あのイベントもこのイベントも?ってくらい、

売り子から裏方まで、

色々なところで仲間の役に立つことしたい子でした。

 

たくさんの仲間に命を惜しまれて、

濱田恵理ここに眠る】

 

美辞麗句だけでなく、

僕がから見たあの子を言い表したらこんな言葉かもしれません。

やりたかったことはたくさんあったと思うから、

悔いはあると思う。

でも、

仲間に愛された素晴らしい人生だったと僕は思います。

 

以前人生の師の一人にこんなことを言われたことがあります。

 

【1週間前の君と今の君は何か違う行動をしている?

1ヶ月間の君と今の君は?

1年前とはどうだろう?

もし変わっていないとすれば、

これからもずっと変わらないよ。

君がこのまま変わらず生活を続けて死んだとして、

生き様が墓標に刻まれるとしたら、

君にとってその言葉たちは誇らしいかな?】

 

僕がこのままの変わることなく生活を続けて、

死んだとして、

僕の人生は誇らしいだろうか?

そうは言えないと思う。

 

僕が生きている1日1日は、

誰かが生きたかった1日だと思う。

その1日をどう過ごしていくか?

たくさんじゃなくていい、

大切な人を大切に、

大切なものを大切に、

楽(らく)よりは大変でも楽しいことを、

他人にもらう資格や価値ではなく、

自分で新しい価値を創っていく。

1年前より、

1月前より、

昨日より違う行動をしていこう。

 

月命日にそんなことを想うのでした。

 

 

 

 

 

 

 

組み合わせで新しい物を生み出す

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僕の好きなミュージシャン、

アマゾン松田君が、

FBに貼っていた動画で、

牛の頭蓋骨をかぶった人が、

オルガン、ピアノ、バスドラ、シンバルなどで演奏しながら、

牛の角部分でシンバルを叩いてる動画を見て、

朝から感動した僕です。

http://2static.fjcdn.com/movies/Vurro+mu+boogie+big+gray+azure+this+is+what+i+imagine+big+daddy_1d909a_6051237.mp4

頭でシンバル叩いたら痛いし良い音も出ないかもですが、

角なら大丈夫ですもんね。

しかも両手足は他の楽器を演奏しているから、

やはり頭などで叩くしかない。

演奏を機能させるための牛の頭蓋骨。

 

僕は小さい頃から骨が好きで、

(いちばん好きなのはキリンの頭蓋骨)

骨は飾って観賞するものと思っているから、

飾る以外の機能を思いつかない。

 

パワポとプロレスを融合させて、

新しい価値を生み出したスーパーササダンゴマシンの例もそうだし、

よく知っているけど、

組み合わせると新しい価値になるもは、

まだまだあるんだろうなぁと思います。

 

僕ももっと柔軟に枠を超えていきたいなぁ。

 

 

カフェが人を繋ぐ

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最近、

1Fの店舗を改装しています。

僕が比較的時間が取れる木曜日の日中だけ、

数時間作業していますが、

毎回誰かが手伝ってくれる。

 

SNS用のケーキの画像を撮るのに、

1Fの映像会社の社長がアドバイスしてくれたり。

 

カフェ内で自然発生した【ゲーム部】最年少部員の大学生が、

(20代〜40代と満遍なくいる)

海外留学ために日本を離れるので送別会があったり。

 

ありがたいです。

 

みんな、

僕がカフェをやっていなかったら、

出会うことがなかった人たちです。

 

カフェって様々な人をつなぐコミニュティーになり得る場所。

 

LABOは入りづらい店です。

2Fだし入り口わかりづらいしね。

でも、

そういう障壁を越えて来店される人は、

100円のコーヒーより、

500円のスペシャルティーコーヒーを選ぶ人だし、

どこに行っても同じ内装で同じクオリティーのチェーン店より、

空間も楽しみたいという人。

だからある程度価値観が似ているのかな?と思います。

そうだと仲良くなるのも早い。

 

ゲームも、

オンラインで人と協力したり、

競ったりするのが流行っている。

【つながり】が今一番求められてるものなのかもなぁと、

画像を見ていて改めて感じています。

 

 

幽霊の正体と社会洗脳(オカルト要素ゼロです)

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幽霊の正体のお話です。

幽霊はいないのだけど(浪漫がなくて申し訳ないけど)、

いた方が都合が良い人がいるのと、

社会全体で【いる】前提で洗脳しあっているおかげで、

まるで幽霊が【いる】ように思われているのが現実です。

「でも見えるし!声とかも聞こえるんですけど!」

という方のために「あなたはなんで見えるのか?」のお話と、

なんで社会洗脳のが起きているのか?をお伝えしたいなと思います。

 

まず映像は目で見てません。

脳の視覚野で見ています。

しかもその映像は1000分の1秒遅れて作られます。

眼球にくっついてる視神系の束(いわゆる盲点)

で眼球に写ってない映像を修正したり、

眼球に写っているけど、要らない映像を消したりするので、

視覚野で映像になるまで1000の1秒かかる。

皮膚感覚、聴覚もそうで、

要らない感覚や、音を消してから感じるし聞こえます。

勉強中の遠くの工事音や、

講演を聞いている時のエアコンの音、

首に触れるシャツの布の感覚など、

今、重要でない感覚は、

鼓膜は震えていても脳までは届かない。

しかも5%しか脳には届かないので、

95%は見えない聞こえない感じない世界です。

(詳しくは僕の過去のブログや中高生向きの書籍【進化しすぎた脳】などを参照)

ってことは、

脳の中の映像は電気的処理後の過去の世界です。

【今】ってないんですよ。

認識が生まれた時は全て過去なんです。

これが【霊】が見えるポイントです。

「財布がない!」と強く思っていれば、

物理世界には財布はあって眼球には写っていても、

脳にどの情報を届けるか決める機関(網様体賦活系)

の働きで脳には映らない。

逆も然りで、

「小学生女の子ので赤いランドセルを背負った霊がそこにいる!」

と強く信じていれば、

現実世界はいなくても、

脳内にファイリィングされている過去の記憶から、

 小学生女の子ので赤いランドセルを背負った霊を、

視覚野に登場させます。

本人にとっては超絶リアルです。

だからいるとしか思えない。

でも全てのリアルだと思っていた世界は、

編集後の過去で電気信号なんだぜ!ってことね。

だから本人次第でどうにでもなる。

情報処理に介入できれば、

他人に見せたいものを見せることも可能です。

安倍晴明とか、

有名な歴史上の能力者は、

現代の催眠術師と同じで、

変性意識作るのが上手な人だったのだろうと思います。

 

【でも!葬式するし、霊って世界中で信じらてるし!】思う人が多いと思う。

いないと言われても、

釈然としない感じになる人がほとんどだと思います。

それはなぜか?というと社会洗脳の効果です。

13歳くらいまでの、

脳が習慣を作る大事な期間(クリティカルエイジ)に、

子供にとってはその人がいないと死んでしまうレベルの、

重要な存在【親や周りの大人】が「お盆」「葬式」「墓参り」など、

幽霊がいることが前提の行為をしているのをたくさん見ている。

これが一番大きな要因だと思います。

(葬儀やお盆を悪いことと言っているわけじゃないですよ)

だからロジカルに「幽霊はいない」と言われても信じられない。

クリティカルエイジの体験は、

恒常性の維持レベルになってしまうので、

変えることがなかなかできないですしね。

 

幽霊や神がいないことがわかっても、

いた方が都合がいい人がたくさんいることも原因でしょう。

いることが前提の商売はもちろん、

恐怖が人をコントロールするのに一番効果があるので、

なかなか寝ない子供に「早く寝ないとお化け出るよ!」っていうのも、

便利な恐怖によるコントロールですから。

親もそのまた親も、

隣近所も疑いもなく幽霊がいる前提を続けてきているので、

疑うことができない。

こういう現象を社会洗脳と言います。

 

ちなみに幽霊や生まれ変わり(輪廻)を最初に否定したのは釈迦です。

輪廻はバラモン教の支配者層が、

「今世で酷い思いをすると来世で良いことあるよ、

だからあなたはそのままで良い」

ってことにして、

権力を維持できるように、

他のカーストから反抗を起こさせないように作られた支配の仕組みです。

前世を自慢する人は、

よほど今に幸せを感じていないか、

自分で変えられないこと(前世)で、

人を判断する差別主義者なんだろうと思う。

ちなみに【年上が無条件に偉い】ってことにして管理の仕組みを作った、

孔子儒教も支配の仕組みです。

(別に悪い年上を敬うな!と言っているわけではないよ)

それらを釈迦が全否定して、

生まれ変わりはないから、

「真実を知るなら生きているうち」と教えを説いたのが釈迦。

ちなみに霊はいないから死体から服を剥ぎ取って着ていたのが、

もともとの坊さんの服「糞掃衣」。

死体から出た糞と尿つきの服を洗って使ったから、

今でも坊さんの服は黄色なんですよ。

 

今の仏教は幽霊ありきだし、

「その時代にあった、みんながわかる言葉で話せ!」

と、呪文を禁止したのも釈迦なのに、

般若心経とか呪文でしかないけど。

 

大切な人が亡くなったら、

「幽霊がいたら話せるのになぁ」と誰でも思うはず。

そう思う心の動きを【迷い】と言い、

でもやっぱり幽霊がいないので、

話すことができないのを【無明】と言い、

それでもいて欲しいと思う心を【煩悩】と言うそうです。

釈迦はそう教えていたはずなのにね。

 

目に見えないことでも存在していることはたくさんあります。

電波も見えないけどTVや携帯に映像を送るし、

唇と顔の皮膚の境目の細胞も、

どうやって情報を伝達しているか未だに解明されてませんが、

「お前は唇ね!こっちは皮膚になる」と、

同じ細胞間で情報を伝達しあって変化してます。

そんな細胞で構成されている人間同士は、

色々な目に見えない非言語の情報のやり取りを行っているでしょう。

不思議なことを全てを否定しているわけじゃない。

どんなことを信じていても自由だけど、

僕や僕の仲間に迷惑をかけるようなカルトや思想なら、

僕は全力で否定します。

 

 

呪いのシステム(オカルト要素ゼロです)

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呪いはないのだけど、

効果が出てしまうときがあります。

アフリカのサッカースタジアムに呪術師は入場禁止なんだそうです。

相手側のスタンドに呪術師がいるのを選手が見つけると、

選手が「呪われた!」と思って動揺したり、

怪我をしたりするからなんだそうですが、

アフリカと縁もゆかりない日本人サッカー選手が、

呪術師を見つけても何も動揺も怪我もないでしょう。

この差は、

各国で様々ある【社会洗脳の違い】です。

(社会洗脳の話は次のブログで書きます)

日本人選手を調子悪くさせるなら、

宿泊先のホテルを全て北枕にしたり、

窓を開けるとお墓だったりするいわゆる「縁起が悪い」状況を作ると、

恐らくパフォーマンスが下がる人がいるかと思います。

(被暗示性が高い人など)

でも海外の選手には北枕もお墓もなんの影響もありません。

これってどうゆうことか?と言うと、

呪術師の呪文から不思議な力が飛んで行って影響を与えりしないし、

北枕が持つ何か霊的な力が人に影響を与えるなんてないってこと。

呪いは存在しないけど、

「呪われた!」や「縁起が悪い」と思う本人の脳が、

起こしていることに過ぎません。

キリストが死んだ日に手から血が出てくる【聖痕現象(スティグマ)】も、

同じ原理です。

手の平から血が出るのは、

神の力ではなく自分の脳が起こす現象です。

(神はいないことがチャインティンによって2000年に証明されてます。気になる方はググってね)

(ちなみに幽霊もいません。見える聞こえる仕組みはいずれブログで)

 

僕の友人で、

チョコレートを食べると鼻血が出る人がいるのですが、

それも一緒です。

チョコと鼻の粘膜は全く関連性ないですからね!

でもそれを強く信じているば、

体を制御しているのは脳なので、

手から血や、鼻血を出すくらいは出来てしまう。

呪いもこんな仕組みです。

 

例えばイジメや詐欺などである人が亡くなったとして、

その原因を作った人に、

「あなたが自殺に追い込んだあの人が、あなたの後ろにずっといますねぇ」

と霊験あらたかそうな人が言ったとして、

被暗示性が高くスピリチャルが好きな人なら呪いは発動します。

 

呪いじゃないですが、

【安産のお守り】などを渡すときはちゃんと、

「すごーい遠くのご利益のある神社から、あなたのために安産のお守りを買ってきたよ」

と伝えて渡してください。

そっと気がつかれないようにカバンに入れてあげたりしたら、

まっったく効果がないので。

お守りから不思議な力が出たりしませんよ。

お守りを見るたび「安産のお守りもらったんだ」という意識(脳)が、

安産になるように働くわけです。

 

 

 

 

なぜあの人はスピリチャルやカルトにハマったのか?なぜ抜け出さないのか?の仕組み。【依存】と【確証バイアス】

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なんであの人があからさまに怪しいカルトに?とか、

自己啓発セミナーにたくさん参加してるわりに、

(セミナーは別に悪いわけじゃなく、その人が変ってないことと、頻度が問題ね)

全然変わらない人っていると思います。

カルトに至っては被害者の会なども探せばたくさん出てくるし、

「なぜ?」ってなるのですが、

その原因は大きく分けると2つなんだと思います。

 

◇まずは【依存】

 

カルトに「ハマる」

というのはどのような状態かというと「依存している」ということ。

何に依存が起きるか?というと【感動】や【感激】。

僕も有名な心理学者や、

経営者のセミナーに参加したときに、

「脳ってそんな仕組みだったのか!」とか、

「なるほど僕も同じ苦労をしてた!」とか、

「そんな経営術が!」など、

知らなかったすごいメソッドなどに出会うと、

感動や感激が当然あるわけです。

カルトなら、

悩める自己探求系の方に、

「あなたのせいじゃない(前世のせい、霊のせいなど)」(これは効果的)

「あなたにはすごい才能が眠っているけどまだ発揮できていない」

「自分もこれを信じたおかげでなりたい自分になれた」

「ありのままでいい」や、

「先輩信者がいかに幸せか?儲かってるか?(これは仕込みね)」を見せ、

オウム真理教なら【凡夫】とか、

最近のミニカルトなら【庶民】とか、

この教義を知る人と知らない人を差別化して特権階級意識を植え付け、

酷いとLSDオウム真理教はこれもやっていた)での幻覚を、

教祖やカルトのスピーカーの力と勘違いさせたりします。

感動や感激があるわけです。

 

で、

映画と一緒で、

人間の感情は受け取っただけならすぐに消えるから、

セミナーやカルトの集会での感動は、

それに関わっていないと消えていきます。

まともな自己啓発のセミナーなら、

ちゃんとそのメソッドを行動すれば、

「受け取った」から「行動した」になり、

成果が出れば感動は定着して自分の物になるので、

自己啓発セミナーなどは行動をすればOKなのですが、

何も行動しなければ、

三日もすれば今までの自分に戻るので、

また感動や感激を味あわうためにセミナージプシーになります。

カルトは依存そのものを作るのが目的だったりしますから、

子宮にパワーストーン入れたり、

祈ったりしてもカルトの狙い通り成果はでないわけです。

そうなるとまた感激や感動を手に入れるために、

お金を払って集会やトークライブに参加します。

感激、感動依存の出来上がりです。

お金を払って参加していればいるほど、

「これは間違いじゃない!」と思いたい気持ちから、

自分に都合の良い事実ばかりを探し始めます。

これが二つ目の【確証バイアス】。

 

◇【確証バイアス】

 

人は「正しい」あるいは「本当」だと思っていることについては、

その裏付けとなる情報ばかりを収集したり、

その信念を補強することに、

多くの時間や労力をつぎ込もうとする傾向があります。

逆に反証となるような情報については、

関心を持とうとせず無視したり探す努力自体を怠ったりします。

このことは人間なら誰しもが共通して当てはまる普遍的な心理作用で、

「確証バイアス」といいます。 

以下はカーネギーの言葉ですが、

「私たちはある事実が気になると、

頭の中にあることを補強する事実を猟犬のように追いかけ、

ほかの事実はすべて無視する!自分の行動を正当化する。

希望的観測に都合の良い事実や、

偏見を正当化する事実のみを欲しがるのだ」

 

カルトに傾倒する人はこれが強くなる。

いくら被害者の会もあって、

問題になっていることなどを伝えたりしても、

依存を認めたくない、

お金や時間が無駄だったと思いたくないことから、

都合の良いことにしかフォーカスしなくなる。

だから抜け出せなくなる。

 

【誰かや何かのメソッドに幸せにしてもらいたい】

【上手くいかないのは自分以外の誰かや環境のせい】

まずはこの辺から抜け出さないと、

延々とその罠はそばにあるのだろうなぁ。

 

 

 

 

 

 

【カフェと旅】僕がカフェを続ける理由

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旅の醍醐味って、

美味しい食べ物、

素晴らしい景色もそうだけど、

一番は【旅に出なければ会えなかった人に出会う】ことだと思うんです。

 

僕は毎日同じカフェにいて、

どこかに旅に出るわけではないけれど、

毎日色々な人が訪れてきて、

カフェをしていないと出会えなかった人達と会える。

これって旅をしているのと似ているなぁと思っています。

 

今関わっている大切な人達は、

カフェをしていないと出会えていない人ばかりです。

たくさんの人と仲良くなれるから、

悲しい別れのたまにあるけれど、

それでも【出会えなかったよりは良い】と思うんです。

だから僕らは今日も、

いつも通りカフェを開けて、

世界中から旅してきたコーヒーを用意して、

いつもの人、

新しい人、

人に会うためにカフェを続けます。